今日は、広島を走る元”軍用路線”、呉線に乗っていこうと思います。
呉線は、かつて東洋一の軍港と呼ばれていた呉を経由し、海田市~三原を結ぶ山陽本線のバイパスとして建設された路線です。
山陽本線には瀬野八(セノハチ)と呼ばれる坂道の難所があったり、呉の方が港町として発達している、などの理由で建設されました。
現在は地元民の通勤・通学やお出かけに使われています。
呉線旅スタート
それでは、広島駅からスタートしていきます。
呉線を走る列車は、広島~広はほとんどが快速列車です。
こちらの快速 安芸路ライナーに乗っていこうと思います。
呉線の列車は、広島駅まで乗り入れていますが、呉線は正確には海田市~三原の路線を指します。
海田市を出発し、次の矢野駅に停車します。
この矢野駅が、広島市内最後の駅となっています。
矢野の次、坂を出発すると、右手に瀬戸内海が見えてきます。
奥に見えるのは似島です。
日本でのバウムクーヘン発祥の地であり、その他にもサイクリングが楽しめる島となっています。
また、広島に原爆が落とされた際、川に飛び込んだ人々の一部が似島に流れ着いたため、今でも地面を掘っていると、骨が出てきたりするとも言われています。
ですが、原爆の被爆者の治療に当たった施設も数多くあるので、ここで助かった人も多くいます。
そして列車は、かつて「東洋一の軍港」と言われた呉に到着。
あの「不沈艦」とよばれた戦艦大和は、ここ呉で造られました。
また、呉駅ではメロディに「宇宙戦艦ヤマト」が使われています。
やっと呉線の3分の1くらいです。
呉線を走る観光列車、etSETOra(エトセトラ)の停車駅でもあります。
最初に、海田市~呉間が1903年に開通しました。
その後、1935年に三呉線(三原~呉)が開通し、呉線に編入されたことで、呉線は全線開通しました。
下の写真は、呉駅の南側です。
今は複合商業施設が建っていますが、ここもかつては軍専用の鉄道基地でした。
すぐそこに港があるため、鉄道と船を組み合わせた輸送が非常に便利だったということです。
ハトが黄色い点字ブロックの内側にいました。↓
そろそろ出発の時間です。
呉から安芸阿賀、新広と進み、広島シティネットワークエリアの端、広に到着です。
ここから呉線はローカル区間に入ります。
時刻表も見ての通り、広島方面とは明らかな差です。
ここから先は、人の多い町はほとんどなく、竹原⇔広島も芸陽バスの高速バスがよく使われています。
広駅には留置線があり、奥には工場がいくつも建っています。
広から南東へ4㎞ほどの蒲刈諸島は、かつて朝鮮通信使を迎えた場所として知られています。
1時間ほど待って、そろそろ出発です。
三原からやって来た、折り返し普通列車 三原行きに乗車します。
広の次の仁方は、島根の「仁万」と読み間違えてしまいそうです。
奥に何やら橋が見えます。
あれは、とびしま海道の一番初めの橋、安芸灘大橋です。
写真の右側の島が下蒲刈島です。
安芸川尻は、比較的大きな町にある駅です。
広島駅でたまに見る、安浦駅です。
吉浦とたまに間違えます。
秋津に到着。
近くの安芸津港からは、大崎上島町行きの船が出ています。
列車は竹原に到着。
昔ながらの景観が残るスポットがあります。
忠海手前で、美しい多島美を見ることができます(天気が…)。
忠海駅に到着。
ここも、呉線を代表する観光スポットです。
駅にはたくさんうさぎの絵や写真がが見られます。
これは、忠海港からフェリーで15分程進んだ先に「大久野島」、通称「うさぎ島」があるからです。
かつて大久野島には毒ガス工場があったため、その実験体としてうさぎが連れてきて来られた説や、竹原の小学校から放した説など、今だ真相ははっきりとしませんが、うさぎがたくさんいるんです。
家からレタスやニンジンを持って行けば、エサやりをすることができます。
したの写真の左側の建物では、お土産を買ったり、フェリーを待ったりすることができます。
これが忠海港です。
忠海出発後、海沿いを走行します。
なぜかというと、大久野島はかつて毒ガスを作っていたからです。
毒ガスは戦争に使われると強すぎたため、製造や仕様が禁止されていました。
しかし大久野島ではこっそりと毒ガスを製造していたのです。
それを隠すため、ここを走る列車は一時的にシェイドが閉められ、外が見えなくなっていたらしいです。
この島が大久野島です。
ちなみに大久野島には住宅街はありませんが、休暇村の従業員が一部住んでいます。
国道185線と並走します。
ぽつんと可愛らしい有竜島です。
小さな無人島です。
安芸幸崎付近には造船所があり、広島や三原から働きに来る人が多いです。
須波を過ぎました。
あと少しで終点の三原です。
ついに、終点の三原に到着です!
今回はここまでです。
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